RESIDENTS

森の国 Valleyの住人

No.18
山の循環を

目黒住民

森の国目黒の住人はまだまだ面白い人がたくさんだ。
今回はコロナ禍を経て東京からUターン移住して目黒に戻ってきた河野亮二さんのインタビューを行った。

宇和島の高校入学と同時に下宿生活を始め、目黒を離れた河野さんは、高校3年生の時に父親を癌で亡くした。高校卒業後は、松山の大学に進学。
機械工学を専門に学び、卒業後は学生時代の専門分野を生かし、印刷・コピー機を設計・製造する都内の大企業に就職した。

苦悩を経験しながらも、誰もが羨むようなキャリア人生を歩んでいるように見える彼は、ここで大きな挫折を味わうことに・・・。

彼はなぜ都内の大企業を退職し、森の国に戻ってきたのか。都会での会社員時代に味わった挫折経験や、山の可能性に心を動かされた彼の話を伺った。

河野亮二さん

会社で感じた挫折

「入社後は運も良くて早い段階で管理職になったんです。ただ、管理職になった途端、いきなり部下が10人できて、そのうち7人が先輩。やりづらいですよね。(笑)
まあそんな中、必死に頑張るわけですが・・・」

事業では目標値が決まっており、その数字を達成しなければいけない。管理職という責任感も感じながら、毎日その数字を追うことに必死だったという河野さんは人事評価制度で最低点を出してしまったのだ。

「多面評価という、半年に一回、部下、上司、自分自身の全員がお互い評価をし合う社内評価制度がありました。管理職になった後、僕は最低点を叩き出してしまって。結果を出そう、管理職らしくしよう、と思えば思うほど点数は下がる一方。

最終的に上司に呼ばれて、言われた一言が『河野お前これ以上いくと会社クビになるぞ』でした」

崖っぷちに立たされた彼は、チームビルディングに注力するように大きく方向転換をする。

自分の持っていた知識ややり方を全部捨てて、コーチングや組織開発だけをやることに振り切りました。管理職を演じるんじゃなくて、自分の理想のチーム作りに挑戦しよう。これでダメならやめるしかないと思って

指示は一切出さずに、ひたすら部下を信じる。2週間に一回ずつ、個人面談だけを行った。

「相手から〇〇やりたいですという意見が出てくれば最高なんだけど、簡単には出てこないから、まずチームメンバーが本音で語れる関係性を作る必要がありました。いろいろな手法を試しながら、すぐには効果も出なくて焦るんだけど、やり続けていると、徐々にチームの雰囲気も良くなって、事業の方の結果が出るようになったんです。これが不思議なんですよね。結果を追わなくなったら結果が出てきたんですよ

そして、人事評価最低点を取っていた彼がひたすらチームの育成に注力し、成果を出し始めた結果、チームビルディングの手法を社内の他のチームにも広げることを任されるようになったのだ。

山やりてぇ

さて、大好きな会社で挫折から成功体験まで幅広い経験を積んだ彼は、何故会社を辞めて実家の目黒に戻ってきたのだろうか。そのきっかけは、目黒の山にある一本の木だった。

「会社でどん底にいた時に、実家に一時帰省して山に行くと、樹齢100年以上の大きな木が1本どっしりと立っていたのを目の前にしたんです。

昔、祖父と一緒に木を植えに山に行ったときに言われたことを思い出して。当時祖父は『あの山の木はお父さんの木、あっちの山の木はお姉ちゃん、これはお前の子どもができたらお前の子どもの木になるね〜』と言っていました。

その山の木を見たときに、はたや1年後の競争に打ち勝つために明日明後日やるべきことをずっと追い続けている自分と、10年後・100年後の自分のためではない木を植えている祖父の間に大きな乖離を感じて、なぜか涙が出てきたんですよね」

会社をクビになるかの瀬戸際にいた彼は当時のことをこう振り返る。

「長いスパンを見越して働く彼らを見て、焦らなくなったのかもしれないですね。

例えば会社のプロジェクトが1年スパンだったら、納期が1日遅れるだけで大問題ですよね。電車も1分刻みでやってくる。ミーティングも1分で遅刻扱い。会社で仕事をするうちにいつの間にか時間に追われるようになっていて。

一方山の木を切る人は、100年スパンで生きているから『来年でもいいよね〜』って言えちゃうんです。

樹齢が60年でも、61年でも、どっちでもいいんじゃね〜みたいな感覚。この世の中には、1分遅れただけで謝る人がいる一方で、1年遅れても怒らない人がいたんですよね

「あなたは何がしたいの?」

チームで成果を出し、周りからの信頼も厚くなっていく一方で、「目黒の山」のことが心の中で渦巻いていたという河野さん。

「会社でチームを作ること自体はワクワクするし、良かったんだけど、部下にやりたいことを問う度に、その質問が自分に返ってくるんです。すると、どんどん山のことが思い出されるんですよ。

自分が植えた木を、山を、放ったらかしている。祖父が山の木を切って、循環させていたのに、自分はその循環を止めている・・・と」

会社の中期計画を立てる業務の一環として、5〜10年後の会社の事業計画を作っていた2020年春。時間をかけて作り上げた会社の計画は、コロナでガラッとひっくり返った。

「その時『未来って予測不可能なんだ』と、強く思うと同時に、「山をやりたい」という気持ちがグッと迫ってきました。会社は大好きだったけど、未来はどうなるかわからないから、自分で選択できるうちにと思い、会社を辞めて目黒に戻ってきました」

山の魅力

彼は、山で森林浴をベースにした企業のチームビルディング研修を行いたいという夢を持つ。

「自分はエンジニアだったので、ずっとロジックの世界で生きてきました。AIが出す答えは、僕たちのロジックを超えたものがあるけど、その答えを採用するかどうかを決めるのは、自分の直感です。

直感を働かそうと思うと、五感で感じることが大事で、都会だとやりづらい。だから、組織開発の一環としても、山や森の中に入ることが必要だな、と。

例えば、満員電車の中で通勤しているときって、嫌なはずだけど何も感じないですよね。それは、その間嗅覚や触覚をシャットダウンしているから。つまり、出社後仕事を始めてからはまず感覚を戻すところから始めないといけない。

会社にいると『嬉しい』とか『悲しい』とか、感情を表現する言葉ってあんまり出てこないと思うんだけど、山でやると自然と出てきちゃったりするんですよね。最初から感覚や感情が解放された状態で話すから、日頃言えないことを言えるようになったり、本音が出やすくなるんだと思います。だから、オフィスの会議室でミーティングするより山の中で話したほうが圧倒的に良いんです」

山と向き合う

宇和島地域は、昔から森林資源が豊富で、家具の産地だった。その名残で木工の学校がまだ残っており、目黒に戻ってきた彼は、1年前から宇和島の木工学校に通い始めた。

「ここでやりたいことの一つに、山の木を使って何かつくりたいという思いがあって。木のお皿から、家の改装まで」

インタビュー中、彼の口からは『山を循環させたい』という言葉が何度も漏れる。

「林業に従事している人や、田舎で山を所有している人は口を揃えてみんな『山に価値がない』と言うんですよね。100年後のために時間と体力をかけて山の手入れをしたとしても、お金にならず、やればやるほど赤字になってしまう、そんな今の状況をどうにかして変えたいと思うんです。林業や木工は、3K(きつい、きたない、キケン)と言われる仕事だけど、自分はもともとエンジニアなので、テクノロジーをつかってこうした課題を改善していきたいとも思っています。素人が山にいきなり行っても何をしていいかわからないし、この木を切った方がいいのかもわからない。最近はスマホで写真を撮ると、クラウドと連動して、その木の情報や間伐した方がいいという提案をしてくれるアプリもあります。

アナログとデジタルを融合させれば今まで価値がないと言われていたものが、世の中にとって価値がある場所になってくると思います」

山の循環のためにやりたいことがたくさんあるのだと熱く語ってくれた河野さんの夢はまだまだ広がる。

「家を自分の手で改装してみたくて。今は、親の世代や自分達の世代も親世代が亡くなって、地元に帰ってきても家がない人もいます。そういう人たちが1週間くらい泊まれる家があればいいなと思っていて。さらに、少しの間帰ってきた人が、山や畑仕事を手伝ってくれたら最高ですね。」

一度故郷を離れたからこそ、その価値や魅力に気づくこともある。
そんな人が森の国にまた戻ってくることを願いながら、彼はまた山に入る。

ライター/ 井上美羽

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