RESIDENTS

森の国 Valleyの住人

No.5
地元との架け橋

森とパン 店長
限界集落の目黒地区では30年ぶりに新たなお店がオープンした。その名も「森とパン」。
山の麓のど田舎で、オープン30分で完売してしまうほど人気のパン屋さんを切り盛りしているのは、もともと地域おこし協力隊として松野町にやって来た岸本有希さん。

愛媛県で一番小さな町、松野町。その中でも人口の50%以上が65歳以上の高齢者となった限界集落の目黒地区では30年ぶりに新たなお店がオープンした。その名も「森とパン」。
山の麓のど田舎で、オープン30分で完売してしまうほど人気のパン屋さんを切り盛りしているのは、もともと地域おこし協力隊として松野町にやって来た岸本有希さん。
そんな彼女の森の国での生活について、地域おこし協力隊の話も踏まえて、インタビューを行った。

地域おこし協力隊としてやってきた

神戸の短大を卒業後、児童館で6年間勤務し、2017年〜地域おこし協力隊として松野町に移住した岸本さん。
元々地方で、地元の人たちと一緒に働く仕事に対して憧れがあり、まずは協力隊という仕事について知るために、話を聞きに行ってみたという。
「地域については特にこだわりはなかったんです。その会場にはいくつかの地域のブースがあり、その中の一つに松野町がありました。話を聞いて、『気になるんだったら一度来てみーや』と言われて、早速行ってみました。」

2日間、町を案内してもらった時の町の人のおもてなしに惹かれて、移住を決めた岸本さん。
「1日目の夜に地域の方々が飲み会を開いてくれ、町の人が温かいおもてなしをしてくれたんですよね。なかなかそこまでおもてなししてくれるところってあんまりないじゃないですか。そのときに、『ここやったらやっていけるな』と直感で思って。」
岸本さんは、その後数ヶ月後には松野町にやってきた。

その後地域おこし協力隊として3年間松野町の地元住民たちのサポートに入りながら働く。
「松野町の地域おこし協力隊の募集の仕方は、まず町が出しているミッションがあって、自分がやりたいことと町の求めていることがフィットすれば、採用、という形だったんです。私の場合は、観光振興という募集枠で、『食を観光につなげる』というミッションのもと、1年目は道の駅のお母さんレストランのサポートとして入っていました。そこで出す料理のメニューのポップを作ったりしながら、旬の食材や、地元の味付けも教えてもらっていましたね。」

人と関わることが増えた

田舎の中でもど田舎の松野町は、都会の生活スタイルとは全く違う。そして一人でやってきた彼女は知り合いも一人もいないところからスタートしたが、人との関わりは必然的に増えたという。
「田舎と都会は、人との付き合い方が全然違います。まず、こっちにきて、周りの人と話す機会が増えて、特に50〜60代の世代の知り合いが増えました。神戸にいた時は、50〜60代の知り合いって、会社の上司くらいだったんですが、友達というか、ご近所さんというか、仕事場以外での年上の知り合いができたことが新鮮でした。」

「あと、田舎はやっぱり人との距離が近いんですよね。都会だと、隣の住人のことすら知らないこともあると思うのですが、こっちは、朝に会って、おはようございますという挨拶だけでは終わらないんです。おはようございます、の後に『今日こんなんやな』といった会話が必ず生まれて距離が近くなる。
協力隊の仕事をしていた時は夕方に仕事が終わり、週に3〜4回くらい隣のお家に行ってご飯を一緒に食べたり、一緒に飲んだりしていました。
隣の家の人も『ダメな時はダメというから』と言ってくれたので、遠慮せずに行けたんです。一人でご飯を食べるのも寂しかったのもあって。笑
なので、外で過ごす時間が前よりも多くなりました。」

地域になじむまで、自分から積極的に話しかけに行く努力は惜しまなかった。
「自分のことを誰も知らないから、知り合いになろうと思ったら、最初は自分から行くしかなかったです。まず歩いている人には声をかけて、自分のことを説明して回りました。
一回話して打ち解けたら、『これもっていき〜』と言ってお野菜を分けてくれたり、逆に向こうから話しかけてくれたりするようになりました。」

田舎暮らしの方が、自分に合っている

地域おこし協力隊は、3年という任期がある。その任期を終えると、自分で仕事を見つけるか、地元や他の町に引っ越すかどちらかの選択を迫られるのだが、岸本さんは松野町での暮らしを続けることにした。

「やっぱり、ここの環境とか、暮らし方が自分にあっているんですよね。地元の神戸にももちろん年に何回かは帰りたいけど、もう都会にずっと住むというのは考えていなくて。」

「あと、こっちに来てから自分も変わったんですよね。まず最初は自分のことを誰も知らないから、自分のことを知ってもらいたくて説明して話していくうちに自分の意見が言えるようになったり、人を頼れるようになったりしたんです。」

そしてちょうど任期3年目に入るところで、水際のロッジのオープンの募集がかかったという。

突如始まったパン屋さん

オープン当初はレストランのサービスなどに携わっていた岸本さん。パン屋さんをやることはもちろん誰も予期していなかった。巡り合わせで、パン屋さんを任せられることになった。

「アメリカのカリフォルニアにあるパン屋さんBrioBrioを経営している塩出さんが、コロナの影響でアメリカに行けず、1ヶ月ほどここに滞在されていたんですね。滞在中、せっかくだからということで、パンの焼き方を塩出さんに教えてもらっていました。
そして6月〜7月は、パン屋さんはまだなかったのですが、クラウドファンディングの返礼として毎日パンを仕込んで焼いていました。その傍、移動販売で役場などに週に1回くらいの頻度でパンを売っていて。
そのうち水際のロッジの朝食でもパンが始まるようになり、9月にはパン屋がオープンすることになり、とんとん拍子で話が広がっていったんです。
最初は初めてなので時間も毎日書いてやっていかないとできなかったのですが、今はリズムが掴めてきたので、一人でも回せるようになりました。」

パンを買わなくてもふらっと立ち寄れる場所

今はフィナンシェなど、物販用の焼き菓子を試作中だという岸本さんに、これからここでどんなことをやりたいのか聞いてみた。

「ただのパン屋ではなくて、物販や、家庭菜園で余った野菜などをここで買い取って販売したり、地元の人のつながりが生まれていけばいいな、と思います。この目黒の地域に新しく店ができたことはすごく大きなことなので、ここの場所のあり方について、どうやったらもっと地元に寄り添ったものをできるのかを、協力隊の経験を活かしながら考えていきたいです。」

「パンを買いに来た」とかではなく「寂しいから来た」とフラっと地元の人がこれるような場所になればいいな〜と語る岸本さん。

岸本さんは「森とパン」でさらなる挑戦を続ける。

ライター/井上美羽

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