森の国

LIVING

森の国の住人たち

ピッツァを届ける

SELVAGGIO ピッツァ職人

SELVAGGIOの窯の前で楽しそうにピッツァの作り方についてお客さんに話すのは、佐々木海さん。男社会の中で辛い経験も乗り越え、紆余曲折して森の国で再びピッツァの世界に戻ってきた。一度ピッツァを嫌いになりながらも、ピッツァに対して真正面から向き合ってきた彼女は、田舎で子供からおじいちゃんおばあちゃんまで、一人ひとりに美味しいナポリピッツァを届けたいと語った。

女だから好きな仕事ができない

もともとは料理人ではなく幼稚園の体育の先生になりたかったという海さん。幼稚園の先生の資格を取るために入った専門学校を1年で辞めた。それは、「女だから」という理由でやりたい仕事を選ぶ選択肢すら与えられなかったからだった。

「跳び箱やマット運動の補助などをイメージして体育の先生を志望していたのですが、女性は、新体操やバレエしかできないということを実習の時に知りました。跳び箱やマット運動は男性が担当するから、女性は全員新体操・バレエの方をやるしかないと言われて。そしたらやりたいことと違う、と思ってその道を諦めました。」

「その後やりたいことを実現させるために、学童保育の先生になり、その傍ら飲食店でバイトをしていました。」

背中を押してくれた両親の存在と家族のつながり

ピッツァ業界に足を踏み入れたのはそんな時期、父親が声をかけてくれたことがきっかけだった。

「うちの父親は少し変わっていて、ものづくりが好きな人なんです。まず買うよりも先に作ることを考える人で。ピッツァの窯を作ったからお前が焼いてくれないかと声をかけてくれたんです。男兄弟もいるのですが、私が一番向いていると思うからと言ってやらせてくれました。」

「その後ピッツァのことを色々勉強しながら、土日にピッツァの窯を軽トラに積んで色々なところで出店をするようになったんです。父親が作った窯で私がピッツァを伸ばして、父が焼いて、母がレジをやって、兄が客引きをして、と家族5人で回していました。出店が終わると、そのまま夜家族で美味しいもの食べに行って。これがすごく楽しくて。」

「当時は家族みんなバラバラに住んでいたんですけど、土日のそのイベントがあるときは各地からみんな地元の茨城に集まって出店することを続けていました。子供と関わる仕事をするという夢は叶ったし、次はピッツァを本気でやろうと思うようになりました。」

背中を押してくれた両親と、SELVAGGIOにて。

イタリア修行過酷な8日間

22歳の時、ピッツァの世界でつながりをつくるために、父親に勧められて一人でイタリアに8日間の修行に出たという海さん。そこで自分とはレベルの違う職人たちに必死に食らいつきながらナポリピッツァ職人としての腕を磨いた。

「イタリアで日本人向けのスクールがあるのですが、そこには大御所の日本人ピッツァ職人もたくさん集まるんです。
スクールを受けに行ったら、周りはみんな自分の店を持っているようなプロしかいなくて、私みたいな20代前半のペーペーは一人だけ。手作りの窯で一枚焼きをしていた自分とは比べ物にならないくらい周りのレベルが高く、5〜6枚焼きの世界。イタリア語もわからない。歳はみんな上。技術も追いついていない。正直本当にきつかったです。
朝の4時頃集合して、バスで粉の会社などを見て回って、夕方ナポリに戻り、仕込みを始めて夜中2時まで営業、という生活でした。8日間の研修だったのですが、レベルが違うところに来ちゃったな・・・とできない自分が悔しくて夜一人で泣いていましたね。」

「最後はイタリアの巨匠、マエストロたちに見てもらい、無事に受かってナポリピッツァ職人協会の認定書をもらい、帰国後は練馬のピッツェリアで働き始めました。」

都会のしがらみから離れてピッツァを再び焼く

修行先の練馬のピッツェリアでは4年間働き、姉妹店の店長まで任された海さん。しかし抑鬱病になってしまい、大好きなピッツァを辞め、飲食業界から距離を置くことに。

一度飲食業界から離れた彼女を再びピッツァの世界に呼び戻してくれたのはSELVAGGIOの監修をしている岩澤さんの一言がきっかけだった。

「辞めてからもまた飲食やりたいな、と思ったものの、ピッツェリア業界にはまだ戻ることができなくて。テレアポなど派遣の仕事をしたりして、その後ピッツァではない都内のレストランで働き始めました。」

「2020年にコロナでお店が休業してしまい、その間父親と岩澤さんのピッツェリア、フィリッポに行ったんです。岩澤さんは、当時私がピッツァを嫌いになって避けてきていたことも知っていたので、私に『そんな都会のしがらみを気にしないところで、ピッツァを好きに楽しめばいい。今までやってきたことも、才能も、こっちで活かせばいい』と言ってくれたんです。
実はそれまでも何度かお声掛けいただいていたのですが、もうピッツァはやりたくないと言って、ずっと断っていたんです。
岩澤さんの言葉を聞いて、あぁ、そっかと思いました。都内で探すから辛いんだと思って。
岩澤さんがプロデュースをしていることもあって、中途半端なナポリピッツァ屋さんではないこともわかっていたし、本気でピッツァのことを学んで取り組めるのだという信頼感もあり、再び戻ることを決めました。」

純粋にピッツァが楽しいと思える環境

最初は3ヶ月だけ働く予定で2020年の7月にやってきたが、期間を延長し、残ることに決め、住所も松野町に移したという。

「最初は3ヶ月だけの予定だったので、中途半端な働き方になってしまい、複雑でした。数ヶ月しかいないのに、周りもどこまで教えればいいのかもわからなかったと思うんですよね。自分の中でも変に農家さんと関わらないほうがいいなと思っていたし。でもやっぱり関わりたいという気持ちも、食材もちゃんと理解してから使いたいという思いもあったので、残るって決めて。本腰を入れてからが充実しています。」

「それまではどうしようっていう悩みもあったし。純粋にピッツァが楽しいって思える環境ともっとこっちで勉強したいって思ったのが残る決断を下すことができました。」

SELVAGGIOではお客さんもピザ窯の前でピッツァを作っている様子を見ながら料理人と話すことができる。これを始めたいと言ったのは海さんだった。

「自分は子供相手にお仕事をしていたこともあったし、人と話すことも好きだったので、お客さんとゆっくりと話せるこの環境がすごく楽しくて。直接お客さんとコミュニケーションを取ることができて、生産者の顔も知っていることがすごく良くて。都内では感じたことのなかった感情でした。」

「料理をする原点に戻ると、自分の作ったものが食べてもらえる、美味しいと思ってもらえることが幸せで、それが感じられたのが良かったんだと思います。たくさん焼くのもプロとして素晴らしいことだけど、大事に一枚ずつ、一枚に想いを込めて焼くっていうほうが、自分には合っているのかなと思っています。まずはここにきて、もう一度ピッツァを、飲食を好きになろうと思えたんですよね。」

田舎の環境が合っている

森の国では、誰も自分のことを知らない環境だからこそ、素の自分が出せたのだという海さんは、ここの生活が自分に合っているのだと語る。

「初めてきた時は、不安とかも全くなくて、むしろ楽しみでした。新学期とかってワクワクするじゃないですか。それを久々に味わったなっていう感覚ですね。松野の人は知らない人でも受け入れてくれるので、自己紹介したらそこからもううみちゃんって呼んでくれるし。」

田舎だからこそ仲良くなった出会いもあったという。

「同い年なのですが、自分とは対照的な性格のきしもっちゃん(彼女についてはこちらの記事で紹介中!)とは、きっと学校で同じクラスだったら仲良くなっていないよね、とよく話しています。笑
ここに残るために色々と相談に乗ってくれた彼女の存在も大きかったと思います。」

「コロナがなかったら、前職のレストランも閉店していないし、フィリッポにいくこともなかっただろうし。いろいろなことが重なって森の国へやって来て、ここでやりたいと思ったのなら、迷わずにここにいようと思いました。」

キッチンカーで四国を周りながらみんなにピッツァを届けたい

これからどんなことをしていきたいかと問うと、「キッチンカーで移動販売をするのが夢だ」と語ってくれた。

「全然先の先の先の話かもしれないですし、夢で終わっちゃうかもしれないですけど、キッチンカーで売りたいっていうのはこっちにきて強く思うようになりました。おじいちゃんおばあちゃんとか、レストランまで来れない人たちの元へ、自分が行ってその土地の食材を使いながら、ピッツァを焼いてあげたい。」

「片親の子とか施設に入ってる子ってちゃんとしたナポリピッツァ食べれないんだろうな、とも思って。そういう子たちにも美味しいナポリピッツァを食べてもらうために、小学校や養護施設でピッツァ教室を開いて、こうやって作るんだよ、って教えられたらいいな。」と話す海さんの夢はどんどん膨らむ。

自分が落ち込んでようがイライラしてようが、美味しいもの食べたときって絶対美味しいじゃないですか。どんな感情であろうと、うわ美味しいって思うじゃないですか。それを自分のピッツァを食べて思ってくれたら、やりがいがあるし、やっていて良かったなって思います。

「車一台と窯と生地と身体があればピッツァは焼けるんで。まずは四国、全国も色々周りたいですね。」と語る海さんの目は、とても楽しそうで、キラキラしていた。

ライター/井上美羽