RESIDENTS

森の国 Valleyの住人

No.7
料理人の道

SELVAGGIO料理長
幼少期から料理人を目指し、料理人一筋で生きて来たSELVAGGIO料理長の北久裕大シェフ。一年前に松野町へやって来て、現在は生産者さんや地元の方々にも愛される料理長。地元の美味しい食材について理解を深めながら、お客様に届けるために、今も生産者さんの元へ毎週のように足を運ぶ。
彼の料理人としての半生について、インタビューをした。

幼少期から料理人を目指し、料理人一筋で生きて来たSELVAGGIO料理長の北久裕大(きたくゆうだい)さん。1年前に松野町へやって来て、生産者さんや地元の方々みんなから愛される料理長。地元の美味しい食材について理解を深めながら、お客様に届けるために、今も生産者さんの元へ毎週のように足を運ぶ。
彼の料理人としての半生について、インタビューをした。

親父に振り向いて欲しくて

何と彼が料理人を目指し始めたのは幼稚園の頃。最初はパン屋さんになりたかったという。

「小さい子供にとって、深夜の時間、寝てる時間って未知数じゃないですか。どこかでパン屋さんは夜中の2時に起きて、仕事に行って3時くらいからパンを焼いているということを知って、なんでそんな夜中に仕事をしているんだ?と思って。
そんな面白い時間に仕事ができるなんてやってみたい、パン屋さんになりたいと幼稚園年長の時から言っていたんです。」

父はもともと料理人だった。そんな父の後ろ姿に憧れを抱いていた彼は、父と同じ料理人を目指すことを宣言する。

「父が料理人なんですけど、父は毎日朝6時に家を出て、帰ってくるのが夜12時過ぎ。家を出る時間も帰る時間も遅かったんですよね。休みの日も小学校から帰ってきて遊んでもらいたくても疲れて寝ちゃっていたりして。子供と遊んでる余裕がないくらい仕事漬けの人で、色々なことをやって構ってもらおうをしたんですけど、なかなか構ってもらえなかったんです。」

「『俺この人にどうやって振り向いてもらえるかな』って考えていて。 そんな時、『料理人になる、っていったらこの人見てくれるかもしれない』と思ったんです。小学生の時も朝早く起きて、鼻にティッシュ詰めてゴーグルつけて玉ねぎのみじん切りをして、親が起きてくるまでにチャーハン作ったりとかして。笑」

「だから最初は料理人になりたかったというよりかは、親父に振り向いて欲しかっただけだったんです。」

料理人一筋、ピッツァ一本で生きてきた

「野球をやっていたんですけど、プロ野球選手になりたいと思ったことは一度もなかった」と話す彼は、高校から調理科に通い、その後実習がメインの調理師学校へ1年通い、イタリアンの道に進んだ。

イタリアンの料理人と、ピッツァイオーロ(ピッツァ職人)はまた違う職種なのだが、当時”料理人”はたくさんいた一方で、ピッツァイオーロという職業はまだ日本ではメジャーではなかった。

「ピッツァイオーロは、窯の前で、原始的に鉄の棒一本だけでピッツァを焼いていて。温度計もなく、自分の肌感覚だけで窯の温度を確かめるんです。」

“料理人”とピッツァ職人って全然土俵が違うんですよね。窯の前はピッツァ職人だけ、厨房は “料理人”、と完全に分かれていて。自分は就職してから鍋も振らないしパスタも作ったことない、ずっとピッツァだけでやっていました。」

父と始めたレストラン

都内のレストランを3年勤めた後、父の地元福岡で、2人で店を始めた。

「途中から喧嘩ばっかりでした。それでも結構黒字で経営できていて、5年弱経って父が引退する時に、もう1回厳しい環境に入って料理を学びたいと思い、店を閉めて東京に帰ってきたんです。」

「都内では結構良い条件、良い待遇で自分を受け入れてくれる企業は何社かあったんですよね。店舗管理責任者とか、料理長とか、上の役職ばかりで。
その時に、オップラ(フィリッポの2号店)の店長さんから急に連絡が来て。全然知り合いでもなかったのですが、もう急に。笑」

一番下っ端、皿洗いのポジションを望んでフィリッポへ

ピッツェリア業界でも知らない人はいないくらい有名なお店フィリッポから自分に声がかかるなんて想像もしていなかったという北久シェフ。

「最初は話を聞きながら、お店の取り組みのすごさとレベルの高さに圧倒されて、ここで自分が働くイメージはつかなくて。」

その時提示された条件が、下っ端の皿洗いのポジションだった。お店の経営も経て再度下っ端で働くことに魅力を感じたというドMの北久さん。

「『下っ端、良い!!!』と思って。一からできるって幸せだな、と。」

そしてそこで初めて出会ったのが、北久さんの師匠であり、SELVAGGIOの監修をしている岩澤正和さんだった。

「フィリッポで話をしていた最後の方に岩澤さんがやってきたんですが、その時、岩澤さんがすごく大きく見えたんです。体とかではなく、岩澤さん自身が。器のデカさなのかな、人として大きく見えて。もうどう表現したらいいかわからないですけど、えっ!!?ってなって。」

「その時にはもうここで働きたいと思ってて。その後すぐ働かせてください、と言ってフィリッポの下っ端ポジションで働かせてもらえることになったんです。」

実際働き始めると自分と周りとのレベルの違いに圧倒され、地獄の修行の日々。

「ずっと福岡のぬるま湯状態で働いていたので、もう急に熱湯に入れられた気分でした。
レベルが全然違って、食材やイタリア料理の歴史に関する自分の知識もなく、周りの先輩たちが言っている当たり前のことも理解できないことが本当に悔しくて。毎日怒られていました。厳しすぎて、入ったのが失敗だったな、と思ったこともありました。」

「それでも、ここで学んだら自分にとってプラスになると分かっていたし、逆にこれだけいろいろ教えてもらえるところって他にないな、と思い、2年弱そこで働いていました。」

SELVAGGIOがオープン、その料理長に選ばれたのは・・・

SELVAGGIOのオープンが決まった時、SELVAGGIOの料理長に突如任命された北久さん。

「皿洗いをやっていた自分が選ばれるとは全く思っていなかったのですが、『ゆうだい3ヶ月愛媛に行ってこい』と岩澤さんから急に言われました。もうそれからここに来るまでの2ヶ月間は、フィリッポの厨房でお肉の焼き方からパスタの作り方まで料理を叩き込まれ。東京の家も解約せず、とりあえず3ヶ月分の荷物だけ持ってこっちに来たんです。」

「それも、オープンする10日ほど前に来たのですが、想像以上に何も進んでいなくて、厨房はもはや倉庫みたいに荷物がただ積み上げられているだけ。当時は料理人も他にいない状態で、生産者さんとのつながりもなく、業者にも挨拶に行けていない。仕込みまで10日間で終わらせられるのか!?というバタバタなスタートでした。」

地元の食材を地元の人と共に

現在水際のロッジに宿泊されたお客様にはSELVAGGIOで朝食を提供している。朝食の内容は、地元の目黒米の美味しさに感動した北久シェフが是非これをとりいれたいと考え、一番美味しい炊き方を何通りも検証したという。

「自分はイタリアンなんで米なんて使ったことなくて。なので土鍋で炊き方も何通りも試して、強火で何分、弱火で何分、どれが一番美味しいかっていうのをオープン直前に全部並べて1つずつ検証してました。」

土鍋で出てくる炊き立ての目黒米

「おかずは、愛媛の郷土的なおかずの作り方を芝美紀さん(地元の農家さん)に聞きに行きました。芝さん、本当に料理が上手で。初めてご飯をいただいた時、すっごい美味しくて、こんなに美味しい和食食べたの初めてっていうくらい。
ここで食べたご飯に感動して、ホテルの朝食はご飯、目黒米にしよう。と決めました。」

芝さんは料理人ではない。芝さんの料理にかけられた一手間の愛情が、美味しさの秘訣なのかもしれない。

「何でこんなに美味しいんだろう。いまだにわかんないです。ちょいちょい夕飯食べにおいでって言ってくれて、その時に、これどうやって作るんですか?と聞いて教えてもらったりして。
例えばこの辺りは結構ワラビが採れるんですけど、『ワラビどうやって料理していますか?』と聞きに行ったり。 」

「芝さんのところは、仕事というよりも遊びに行っています。笑 
朝時間あるからおはようございます〜って挨拶に行ったりとか。ちょっとあがっていきなーって言われてそのまま3時間、夜に行ったら夜中の2時3時とかまでずーっと喋ってます。
その時に地元の歴史とか、松野の町のこととかいろいろ聞いて。第2のおじいちゃんおばあちゃんみたいな感じですね。」

みかんを横半分に切ると、果汁が口いっぱいに広がりより美味しく味わえる。(芝さんより)

師匠、岩澤正和に対する「義」

東京に戻ることは考えていないのですか?と聞くと、今は愛媛と東京を天秤にかけられないと彼は言う。

「こっちではトップでやらせてもらってて、どこまでできるか挑戦をしてみたい反面、自分もまだまだなので東京帰って鬼のような先輩たちに揉まれてどつき回される環境でもやりたいな、という思いもまだあるんですけど。」

そして彼の岩澤さんに対する「義」の精神がとても格好良い。

「東京帰るならもうフィリッポしか考えていないです。岩澤さんの元から抜けるという考えはないですし、岩澤さんと一緒に事業をやって彼の世界をみていきたいと思っています。」

岩澤さんは海さんのインタビューの際にも登場したが、人への影響力のある方だ。岩澤さんの魅力は何なのでしょう?と聞くと、北久さんはこう答える。

「人ったらしですよね。笑 でもすごく与えてくれる人。お金とかではなくて、こういう環境やきっかけを与えてくれたし、ミスしても気にすんな〜って言って許してくれる。見えてる世界が別次元で、追いつきたくても全然追いつけない。3歩追いかけても10歩くらい先に行ってしまって。」

「自分はずっとついていくので、岩澤さんに『ゆうだいずっとついて来て』と言ってもらえるように頑張ります。笑」

嫌われ役でも良い、本気でぶつかる関係を

料理長である北久さんは話しやすい雰囲気をまといながらも仕事のスイッチが入ると本気モードに突入する。
これは、一緒に働く人と本気でぶつかりたいという彼の信念があってのやり方だ。

「俺、嫌われ役になろうと思っていて、」と話し始めた彼は、優しさだけでは絆は生まれないと語る。

「今の若い子たちみんな優しいんですよ。自分は今水際のロッジで一番うるさいやつなんですよね。でも1人うるさい人がいないとただ仲良しこよしで終わるので。ただ優しいだけだと誰もついて来てくれないし、信用もされない。ただのクラスメートとは喧嘩もしないけど、親友とは喧嘩するじゃないですか。だからこそ分かり合えるし、仲良くなれるんじゃない?って思う。」

「優しいって良いことなんですけど、相手の顔色ばっか伺って話してもそこに中身はないし、結果お互い信用できないし、どうでもいい不満を言って結果的に何も生まれてこない。お互い間違っていてもいいんです。みんなには、内に我を持ってほしいと強く思います。そうしないと本気でぶつかれない。」

「『この人怒らないからテキトーでいいや』という中途半端な惰性が働いてしまうと、結果お客さんに迷惑がかかるので。
泣いていようと気にせず怒りますし、でもその後は何故ここまで言ったのか、どう考えているのか、という話し合いもします。
ロッジの厨房の他2人は女性ですが、男でも女でも関係ないと思って接します。女の子だから怒りすぎないということはしないと、2人にももう宣言しています。」

「その上で他のスタッフたちも歯食いしばってついて来てくれるんで、自分もそれにちゃんと応えたい。ロッジで働いていて、上だけ頑張っていても、結局動いて頑張ってくれるのは他のスタッフたちなんです。
彼女たちが頑張ってついて来てくれない限り、ロッジって絶対良くならない。
頑張っている子自身が、今後ここの資産になってくるので、彼女たちをもっと立ててあげたいなと思います。」

最後に、これからどんなレストランを作っていきたいですか?と尋ねると「地元の人に応援されたい」と彼は答える。

「地元の方に、サンクレアが入ってよかったねって思われたい。東京から来た子が頑張っているから、うちも野菜作るのを頑張るって生産者の方に言ってもらえたら嬉しいです。」

ライター/井上美羽

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