AMBITION

森の国 Valleyの挑戦
2022.08.27
町内イベント

森のちいさな花火大会

#Festival#夏#目黒の伝統

「またいつでも帰ってきさいや。」

私はそんな言葉をかけてくれるこの町の温かさに惹かれ、いつも自分の故郷に帰るような気持ちで森の国を訪れる。夏休み中も大学の授業が始まる直前までの1ヶ月半は、この町で暮らす予定だ。

2022年8月14日。

この日は待ちに待った目黒地区の花火大会が開催された。
大好きな目黒の風景に、大きな打ち上げ花火…。
想像するだけで、子供の頃のように気持ちが高ぶっていた。
目黒川のせせらぎが厳しい暑さを和らげてくれる、森の国の夏の夜。
多くの目黒住民はそれぞれの軒先や目黒川に架かる一ノ瀬橋まで出向き、一斉に空を見上げた。

3…2…1…!

力強い音を轟かせる花火が、高層ビルやマンションのない空気の澄んだ大空に、高々と打ち上げられた。
この場所では6月には無数の蛍が飛び交う。(『町全体が蛍祭りの会場に』)

今年で27年目を迎える目黒地区の花火大会は、西日本豪雨や感染症拡大の影響で、4年間開催が見送られていた。
桟敷席がわりの一ノ瀬橋に集まった住民からは、近距離での打ち上げに感動する様子や、久しぶりの地元での開催を懐かしむ表情が見受けられた。

住民たちは時間が近づくと徐々に橋に集まってくる

始まりのきっかけ

花火大会の数日前、時々農作業をお手伝いさせてもらっている仲のいい農家さんを訪ねると、面白い話を聞くことができた。

「43年前に、当時の松野南小学校の校長先生が、花火やったら盛り上がることない?と言って、2年連続、自費で花火を打ち上げたことがあるらしいんよ。」

終戦後、戦災復興で木材需要が拡大した山林ブームの中、林業で栄えていた松野町。
目黒地区にも当時は、酒屋、魚屋、床屋などの店が並び、住民は景気の良さを実感していたのだという。

終戦から34年後の1979年、当時の旧松野南小学校の校長先生が自費で花火大会をした頃も、松野町全体が賑わっていたと考えられる。
しかし、高度経済成長期が終わり、国内の木材価格は1980年をピークに低迷。
景気が悪くなると共に目黒地区にあった店は徐々に閉まり始め、地域全体の活気がなくなっていった。

そこで景気が良かった頃の目黒の賑わいを取り戻したいという思いから、1995年、当時の目黒地区の役員が中心となり、地域の夏の行事として花火大会が開催された。

人混みも気にせず大きく見える花火は圧倒的

27年前に役員を務めていた住民が、当時の花火大会について話してくれた。

「花火大会でみんなが一箇所に集まるとね、その日だけ、前の景気が戻ったんじゃないかと思えたね。盆踊りと同じ日にやったから、そりゃ賑わって楽しかった。」

より昔から行われていた基幹集落センター(目黒集落内施設)での盆踊りと同日に花火大会を開催したことで、まるで宴のように賑やかな時間となり、その場に集まった住民や帰省した人達は、かつての目黒地区の活気を感じていたそうだ。

昔の賑わいを取り戻したいという思いが原点となっている目黒地区の花火大会。
その思いが受け継がれる限り、町のイベントは彼らにとってなくすべきではない、大切なものなのだ。

来夏への期待

今年の盆踊りは、感染症拡大の影響で中止となってしまった。

それでも今回の花火の打ち上げによって、一ノ瀬橋付近は小さな同窓会のようなムードになり、帰省していた人達との再会や、今年から移住した人達との出会いの機会をもたらした。

「久しぶりやね〜!こっちおったんやね。また家寄りさいや〜。」

地元住民ではない私にも、久しぶりに会った人から声をかけてくれた。
いつも優しく迎え入れてくれる目黒が大好きだ。

来年からは盆踊りも同日に開催できることを多くの住民が望んでいる。
真夏の中の農作業や、普段の仕事による疲労を地域みんなで労う特別な時間。

来年の夏は、さらに賑わうことを期待して。

ライター・撮影 / 高橋和佳奈
編集 / 井上美羽