AMBITION

森の国 Valleyの挑戦
2024.05.21
水際のキャンパス

「森の国Valleyから、自然栽培で、日本を変える」

#Eat&Food#Event

シゼンタイ佐伯康人氏と本気で自然栽培に向き合う森の国Valleyツアーを実施

2024年5月一般社団法人シゼンタイ代表の佐伯康人氏が森の国Valley(愛媛県松野町目黒集落)に、来られた。

佐伯康人氏は、日本で無農薬・無肥料・無除草の「自然農法」を確立した福岡正信氏と、世界で初めて無農薬・無肥料・無除草剤でりんごの栽培に成功した木村秋則氏の影響を受け、木村氏の一番弟子として自然栽培を学び、現在は自然栽培を全国100箇所で広める活動をしている。

彼は、田畑だけではなく田畑がある環境を考慮して自然栽培を実践されており、野菜を「もの・商品」として見るのではなく「生き物」として見てあげること。自然栽培は「ほったらかし農法」ではなく「観察農法」であること。草や葉の特徴からその植物の特性を理解すること。など、自然栽培とは何かということを哲学的に、そして理論的に、実践も含めて教えてくれた。

森の国サステナ・ラボ・ガーデンでのフィールドワーク

お昼に目黒テーブルに集合し、早速目黒サステナ・ラボ・ガーデンへ向かう。

佐伯氏は田畑に出てすぐに周りの山々を見渡し、田んぼの水路に手を入れて「この水、みんな何度だと思う?」と問いかける。

「9度!」「11度くらいかな」「16度?」

「そうだね。温度計で測ってみようか」と言って測ると、15度だった。

「稲と人間って暮らしが似てるの。暑すぎても嫌。冷たすぎても嫌。だから、稲がちょうどいい、25度±5度くらいの環境をつくってあげたいね。15度の水に15分入ってみるのを想像してみて。つらいでしょう?」

虫食いのキャベツと、ツヤツヤなレタスが植えられている畝があった。「この組み合わせはすごくいいね!あとは、レタスとキャベツを逆に植えればよかったね」とアドバイス。キク科は農薬の代わりの役割を果たしてくれる。だから、畝の内側に蝶々が大好きなアブラナ科のキャベツ。外側にキク科のレタスを植えれば、レタスがキャベツの鉄壁となり(バンカープランツ)虫から守ってくれるのだという。

「これから野菜を育てようと思っているのですが、何から始めれば良いのでしょうか?」

という参加者からの問いかけに、佐伯氏は「まずは土をほって、どんな環境かよくみて。栄養がないところには、麦を植え、その次に豆。豆が育たなくなると窒素がたくさんあるってことだから、どんな野菜を植えても育つよ」と教えてくれた。

「なんでも入れすぎたらダメ。抜いていくことを考えて」

一辺倒で解決できる特効薬はなく、その土地の環境をよくみて野菜や草花、虫たちの気持ちになって考えてみることが大事なのだと教えてくれた。

草花を掘り出して、菌根菌を確認する

お昼は畑の隣で野菜の美味しさをそのまま感じるヴィーガンカレーをいただく(シェフ:堀礼佳)。玉ねぎとトマトベースのスパイスカレーに揚げ野菜、グリル野菜、生の野菜をたっぷりのせて目黒米と共にいただいた。

障害者が幸せに働ける環境を

フィールドワークを終えると、水際のキャンパスで佐伯氏の講演がスタート。

佐伯氏は、これまでの彼の経験について話してくれた。

ご自身のお子さんが三人とも障害を持って生まれたことをきっかけに、障害者が働くことができる環境を国内で探し始めた佐伯氏。障害者施設ではみんなクッキーを作り、月給はわずか3000円しかもらえていない子たちがいる現状を目の当たりにし、「障害者の子たちが幸せに働ける環境を作りたい」と思い、たどり着いたのが、農業だった。

「農業だったら、彼らの能力を発揮できるのではないか」と考え、障害を持った方々が日本の耕作放棄地・荒廃地を自然栽培で再生していく「一般社団法人農福連携自然栽培パーティー」を2015年に立ち上げた。

しかし農を始めてから、数年は、なにをやっても失敗だらけで「自分にはセンスがない」と何度も挫けそうになり、諦めようとした。

そんな中、「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の奇跡のリンゴの本に出会った。この話に感銘を受けた佐伯氏は、早速、彼のもとで自然栽培を学ぶ。やはり最初はうまく行かなかったが、空気中の窒素を根に蓄えることで根粒菌を作ることが大事だという考えに至り、窒素を蓄えることのできる作物、豆を育て始める。

自身の失敗と師である木村氏の話を元に組み立てた理論に基づいて農を再び始めると、ある年から、豆も米も野菜も豊作になった。3000円と言われていた障害者の子たちの給料は当時7-8万円にまで上げることができた。

自然栽培を広めながら日本全国を行脚

政府は、2050年までに化学肥料を30%に、農薬を半分に、有機農業の面積を耕地全体の25%に拡大するという目標を掲げている。しかし現在国内の有機農家は0.5%しかない。

「本当にこのままで、有機農家の割合は25%になるのだろうか」と佐伯氏は疑問を呈す。

海外の農地が砂漠化し、地下水も枯渇し、各国は自国の食を守ることで精一杯になっている中、日本はタネの90%を海外に依存している事実がある。

「僕はね、パンデミックになった時、全く不安がなかった。なにかあったら目の前に畑があるし、手元にタネがあるから。だからみんな、自分のタネをもとう。僕は、0歳から明日天国にいく人まで、この自然栽培を日本全国に広めてやろうと思って歩き始めました」

料理人が大きな鍵を握っている

自然栽培の実践だけではなく、世の中の現状と、自然栽培の価値を世の中に伝え、広めることが必要になってきている。その役割として「料理人」が大きな鍵を握っているのだと、佐伯氏は言う。

トークセッションの後半では、世界に向けて社会課題を発信し様々な人たちを巻き込みながら社会を変えている料理人、PIZZERIA GTALIA DA FILIPPO(東京都練馬区)のオーナーシェフ、岩澤正和氏が登壇する。「イタリアと日本を比べた時、日本はこれだけ食材や、自然に溢れているのに、何か足りないものがある」と感じ、スローフードやサステナビリティの考えに至った。

日本の食料問題やその解決策としての自然栽培の考えを、どうやって無関心な人に届けられるのだろうか。

佐伯氏は「僕たちはシェフの人たちと一緒になって、美味しさも含めて自然栽培の野菜を消費者に伝えていかないと。シェフが栽培方法や農家のことを食べ手に伝えてくれる救世主で、飲食業界が農業を変えると僕は思っています」と言う。

岩澤氏は「社会を変えていくことは難しいけれど、飲食店の仕入れの比率を変えていくことは全然可能です。お客さんは最初は農法に関心はないけれど、僕らが、会話の中でオーガニックや自然栽培の野菜を使った料理を提案することで、徐々に関心を持ってもらうことができると思っています。生産者の顔まで追いかけられる小麦を使い、そして生産者にお客様の笑顔を共有できることがやりがいにも繋がります」と話す。

自然栽培とつながる食の安全性と美味しさ

「僕の店ではピッツァにずっとイタリアの小麦をつかっていました。でも、ポストハーベストとか、その食材以外の部分でアレルギーを起こしているのではと思うようになり、パン職人から紹介してもらった江別製粉さんの国産小麦を使ってみると、小麦アレルギーだと診断された料理人に、アレルギー反応がでなくなったんです」という岩澤氏の話に対し、佐伯氏も大きく頷く。

「僕はグルテンアレルギーはグルテンに反応しているのではないような気がしてるんです。食物へのアレルギーじゃなくて、食材を育てる環境に何を投与したのかが問題なんだと思っています」

さらに、「自然栽培と美味しさはリンクしていると思いますか?」という問いに対して佐伯氏は自身の実体験を持って話す。

「僕ね、子どもの頃からずっと野菜嫌いだったんです。でも、自然栽培のものであれば食べられるんです。自然栽培で育てた野菜はえぐみもなく、超一流の味であると思っています。シェフも、自然栽培の野菜を使っていけば調味料が減っていくんじゃないかな。野菜そのものが美味しいから、塩も油の量も減って健康な食事に繋がっていくのではないかなと思うんです」

対して岩澤氏は「マイナスの美学ですね。美味しいものがあると、なるべく手を加えない方がいいんですよね。採れたて野菜が一番美味しいと思うので、それと同じくらいお皿の上で楽しく美味しく伝えるのが僕らの仕事だと思います」と続ける。

トークセッションの後は出張料理人の竹矢匠吾シェフと、沖元皓椰シェフ、北久裕大シェフによる野菜ベースのディナーが振る舞われた。河内晩柑ドレッシングのサラダや、バーニャカウダ、じゃがいもの冷製スープ、ニョッキや新玉ねぎのフォカッチャなど、美しい野菜のお皿が並べられ、シンプルだが一手間加えた野菜の料理に魅了された。

シゼンタイ。自然と一体化する

松野町目黒集落は人口270人の限界集落と呼ばれており、地域の食を支えてきた地域のおじいちゃんおばあちゃんたちは、徐々にその田畑を手放しつつある。私たち森の国Valleyは若者が集まるコミュニティになっており、今、土や森を蘇生するためにできることを模索する中で、自然栽培の実践、間伐・人口放置林の再生やよもぎなどの野草の研究、住環境の創作など、人間が自然と共生する術を身につけるために活動をしている。

地方から日本が変わる波がきている。限界集落が日本の未来を変えていく日は遠くないのかもしれない。

これから、シゼンタイx森の国スクールを開講予定ですのでお楽しみに。

Text @ Miu Inoue
Photo @ Koji Watanabe