AMBITION

森の国 Valleyの挑戦
2023.09.18
NAMECAMP

僕の最後の夏休み、まっしろな肌に色がついた

人生で、あと何百回この11日間を思い出すのだろう。

時は、2023年8月3日。多くの小中学生にとって、たのしいたのしい夏休み。そんな中、全国から7人の子どもたちが愛媛県で一番小さな町の中にある目黒集落に集結した。その目的は、10泊11日のNAME CAMP。

NAME CAMPは、キャンプディレクターである、まいまい(前川真生子)が毎年夏に開催している野外教育サマーキャンプ。

そして、この話は野外教育の経験もない、肌が真っ白の大学生がカウンセラースタッフとして参加した話。

今、僕は大学4年生。無事に内定先も決まり来年の春には晴れて会社員となる。だが、なんとなく卒業後の進路に迷っていた。そんな時にとある記事を読んだ。そこにはキャンプディレクターのまいまいが「なぜカウンセラーを大学生にするか」について書かれていた。今の自分に必要な「何か」があると直感で感じた。

元々僕は去年NAME CAMPにカメラマンとして参加していた。カメラマンとして帯同していたといっても第三者の立場。カウンセラー(大学生スタッフ)やキャンパー(参加した子どもたち)と、僕との間には壁があった。11日間衣食住を共にした彼らとは「何か」感覚が違ってしまう。それが悔しかった。どうしてもその「何か」を知りたかった。こうして、NAME CAMPには今の自分に必要な「何か」があると感じ、参加を決めたのだった。

始まりの合図(こどう)

(どんな子たちと、会えるのかな)

僕の心臓はずっと鳴りっぱなしだった。

というのも、子どもは大好きだが、大学生になってから小中学生と接する機会が全くなく、話は合うのかとても不安だったのだ。

僕は駐車場で子どもたちがやってくるのを待っていたので、1番最初にキャンパーに会うことになった。初めて会う彼、彼女らは11日間の大荷物を自分1人で持っていた。これからの大冒険を自分の力で乗り越える、そんな意志を強く感じた。

NAME CAMPは、2班に分かれて活動する。

僕の班は小学生2人と中学生1人、そして僕ともう1人の大学生スタッフを加えた計5人だった。

「よろしくね!」

「…」

最初は、何を言っても返してくれなくて、顔も見てくれなかった子もいた。初日から雲行きが怪しい…。

ただ僕は絶対に仲良くなれると確信していた。それは、1日の終わりに班ごとに行う「振り返り」の時間(NAME CAMPの魅力のひとつ!)があるからだ。その日にあった出来事を思い出しながら、その時にどんな感情を持ったか、どんな言葉を言ったかなど、子どもたちの中にある本当の気持ちを言葉にして出してもらう。つまり、対話を通して本音を聞ける場面。仲良くならないはずがないと思っていた。

振り返りでは、相手の言葉を繰り返したり、共感したりする技術も必要だ。しかし「振り返り」はシンプルにカウンセラーとキャンパーの対話の時間だ。僕はこの「振り返り」が楽しみで仕方がなかった。同じ出来事を経験したとしても感じ方は十人十色。他の人が感じる多様な感覚や本音を聞くことが、今の僕にとって必要な「何か」なのかもしれなかったからだ。

ある日の振り返りの時間。

NAME CAMP初日。1日の終盤に、合鴨を自分たちで捕まえ(鴨の小屋の中に入り鴨首を掴む)、目の前でシェフが絞めて調理をするプログラムがあった。衝撃的な出来事だった。(このプログラムは大学生スタッフにもあえて事前告知はされていなかった。

後日。鯛を網で掬い自分たちの手で神経抜きをし、包丁で捌いた。僕は振り返りの時間、子どもたちに、鴨と鯛のいのちをいただくという2つの体験に違いはあったのか聞いてみた。

「鯛と合鴨で何か違いはあった?」

「あったよ。鴨の方が怖かった。」

「なんで怖かったんかな」

「血が流れていたから」

「温かかったから」

「スーパーで売られていなかったから」

温度があるものは生き物と感じる、逆に冷たいものは生きている感じがしない。だから、鴨だと少しグロテスクに感じてしまう感情も鯛に対しては抱かない。スーパーで鯛はよく見るけれど、鴨は見たことがない。だから「慣れ」の問題があって怖く感じるのだと、とあるキャンパーは話してくれた。

またある日。約40kmのマウンテンバイクを漕いで移動するというプログラムがある。普段から自転車に乗って長距離を漕いでいる人であれば難なくできるプログラムだが、僕には超きつかった。大学生スタッフは、子どもたちに付いて自転車を漕ぐ。そして、たまに会話をしたりする。

その道中のとても印象的なワンシーン。

「なんか、みんな楽しく漕いでるのかな?」

「どうしてそう思うの?」

「だって、みんな早く行くことを目的にしてるだけな気がするんだもん。私は、この田んぼの稲の雰囲気とか、ビニールハウスとか、空模様とか全部楽しみたい」

それを聞いた時、僕は嬉しくなって思わず口角があがり、自転車の漕ぐスピードも上がった。だって、10歳の子が自分と同じことを思っていたから。

競争じゃないんだ。

このようにして、僕は子どもたちと振り返りの時間以外にも対話を続けていった。

そんな生活をしていくうちに、最初は目も合わせてくれなかった子が、膝の上に座って自分から話しかけてくれるようになった。話すのが苦手と言っていた子も、初日の振り返りより言葉の量が増えた。料理したことなくて怖いと言っていた子も、毎日料理をしていくうちに切り方のコツがわかってきて、教えなくても切れるようになった。

場面は移り、最後のキャンプファイヤー。まいまいが子どもたちにこのキャンプの振り返りを聞いた。

「Kちゃんにとって、このなめキャンプどうだった?」

「家族とか、友達といくキャンプと違って、個人で行動する時間もあるし、家族じゃない人と行動するから、NAME CAMP には、NAME CAMP なりの良さがある」

そう言ったその子にとっての「NAME CAMP なりの良さ」は「非日常」を体験できることだった。普段とは違う仲間と普段とは違う環境でキャンプができることだった。

思わず目を塞ぎたくなるような「非日常」の体験も

NAME CAMP では、みんなずっと対話をしていた。対話にもいくつか種類があると思う。相手の人となりを知るための対話。自分たちの意見を言い合う対話。感覚をお互いに言葉にしていく対話。そして、自分との対話。合鴨の調理もマウンテンバイクもキャンプファイヤーの時のコメントも、人見知りな子が話しかけてくれるようになった時も、みんな自分や相手との対話を通して考えて得られた「自分の答え」だと思った。

僕のNAME CAMPもこれに尽きた。ずっと対話してた。誰ふり構わず。僕の場合、11日間で僕が1番対話した相手は自分だった。

人生において、これほどまでに自分と対話をしたことはなかったように思う。普段は気がつくといつも、自分が向き合っているのはスマホのスクリーン。自分自身と対話する時間よりも、スマートフォンに費やす時間が多かった。

この11日間の中で、ふとスマホのスクリーンタイムを見るとある日の使用時間はわずか40分だった。

スマホがなくてもみんなで運動できるから

このように対話を通して僕がNAME CAMPで欲しかった「何か」が見え始めた。それは、自分の「強み」や「困難に合った時の自分」を言語化できるようになったことであったり「生き抜く力」だった。将来について一歩立ち止まっていた自分にとって、これらは僕に今必要な「何か」だったのだ。それを理解してからまいまいがなぜ、「キャンプカウンセラーに大学生を採用すること」にこだわったかの理由が自分の真ん中にすっと入る感覚があった。

NAME CAMPでは、キャンプの知識、野外教育の知識を多く身につけられた。でも、それ以上にこのNAME CAMPには人生で大切なものを探すヒントがたくさん詰まっているように感じた。キャンパーたちが触れたそのヒントが、今後の彼らの人生のどの場面で生かされるのかはわからない。大人になって初めてこの体験が生きるかもしれない。もしかしたら、おじいちゃん、おばあちゃんになった時かもしれない。

それでも、この2023年の夏、本気で自分と向き合い続けた経験が彼らの人生における財産になることは間違いない。

これは、7人の小中学生と1人のどこにでもいる大学生が過ごした、とある夏の11日間のできごと。そして、自分の肌の色が松野町目黒の景色に馴染むようになった話。

ライター / 杉山寛哉
編集 / 井上美羽
写真提供 / NAME CAMP運営