RESIDENTS

No.37
滑床のMammaになる
ひとりの厨房、でもひとりじゃない
ー都内での飲食業経験を経て、森の国に来てから料理人として活動されていますが、ご自身の中で変化を感じることはありますか?
森の国に来るまでは、「料理が楽しい」と自分に言い聞かせないとやっていけないような場面もあったんです。
でも森の国に来てからは周辺地域の色んな生産者さんとつながることができ、お話しする中で、なによりも生産者さんが心の底から楽しんで食材を生産していることに衝撃を受けました。

そこから、ひとり厨房で玉ねぎやいちごを刻んでいる時も、そのお野菜を育てた農家さんの顔や風景が浮かんできて、「ひとりじゃないな」って思えるようになったんです。どんな職業でも孤独を感じて、自分だけが辛い思いをしているように感じることがあると思います。でも料理人の場合、目の前の食材に関わる生産者さんの存在を感じることができれば、料理の楽しみ方が変わったりそれぞれに気づくものがあったりすると思います。
あとは、都内にいた頃に教わった「生産者さんの思いを繋ぐ」という言葉の意味が少しずつ体感でわかってきたような気がします。
「グリーンピースが苦手な人でも食べられるように、ちょっと早めに収穫してみたんよ」って、生産者さんが話してくれたとします。そんなこだわりを聞いたら、炊き込んだだけのただの豆ご飯にはできなくなるんですよね。自然と生産者さんのこだわりを料理で届けられるようになりたいと思うようになりました。

雰囲気まで美味しいレストラン
ー桑田さんがSelvaggioの厨房に立たれるようになってから、お店の雰囲気がどこか柔らかく、より親しみやすくなったように感じます。何か意識していることはありますか?
私自身が緊張しやすい性格なので、格式の高いお店に行くとどうしても美味しさを感じにくいんです。お客様には家の中で食べる時と同じようにリラックスして料理を食べて欲しいという思いで、場づくりを心がけています。
1番はレストラン全体の雰囲気が料理のスパイスになると感じます。今までのお客様の反応をみていても、スタッフ同士で失敗をフォローし合っている親しみやすい姿なんかが、お客様の緊張をほぐしてくれたりして。料理の味だけじゃなく、雰囲気ごと味わってもらえてる気がします。

私自身、レストラン内で指示を出して指揮を取る「シェフ」と呼ばれるのが苦手なんです(笑)レストランで調理に関わる人はみんな私と同じ「料理人」という立場であって、「この料理を一緒に仕上げよう」っていう助け合いの気持ちでつながっていたいんです。その方が料理がもっと楽しくなるし、全体の雰囲気も良くなりますよね。
お母さんの愛情を料理にのせて
ー長崎の小さな町で暮らしていた頃の食に関する記憶と、今のSelvaggioでの場づくりがどこかで重なるような感覚はありますか?
美味しいの定義はたくさんあると思うのですが、私の中の美味しいの定義は「毎日食べられる」料理。その定義で考えると、お母さんの料理が最上級だと思います。

私はやっぱり、小さい頃に家族全員で食べたお母さんのご飯が忘れられなくて。揚げたての唐揚げが山のように盛られた大皿を、兄弟で「私何個ね」って箸で取り合ったあの光景。お母さんの作ったご飯の記憶が、今でも私の美味しいの原点だと感じます。どんなに美味しい料理を食べても、家族みんなで食べたあの記憶には勝らないんです。
今もお母さんの料理をイメージしながら厨房に立っています。お母さんはどんなに忙しくても家族の健康や成長を思って料理を作ってくれますよね。「毎日食べたい!毎日食べても平気!」と食べた人に思ってもらえるように、使う調味料や栄養についても学んでいきたいと思います。

Mammaの料理を召し上がれ
大皿の唐揚げを兄弟で取り合った、にぎやかな家族の食卓の時間。森の国に来て変わった料理の楽しみ方。Selvaggioのキッチンで生まれる一皿一皿には、桑田さんが大切にしている家庭のぬくもりと、生産者たちのまっすぐなこだわりがそっと重ねられている。

食材の背景や工夫に耳を傾けながら、食べる人にその温度が伝わるように料理をかたちづくる日々。
安心と、こだわりと、やさしさを届けたい。
滑床のMammaを目指す彼女の料理はそんな想いを乗せて、今日もテーブルへ運ばれていく。

※Selvaggioの営業に関しては水際のロッジ公式インスタグラムをご確認ください。
ライター/ 芝和佳奈